親不知 レンガトンネルと旧国道散策 [カメラ散歩~探検編]
探検と言うほどのものではないですが、旧道、廃線跡散策なので探検カテゴリにしておきます(^^)
時々通るシーサイドライン。昭和初期にやっと徒歩道を作ることができたほど難所だった場所。
通るたびに「この道、崖を削るのが困難で新しく高架を作るようにしてできた道なんだなあ」と思っていました。
険しく道路を作るための土地が無く、高架で新たに道を作ったと言えば北陸自動車道の親不知が有名。
江戸時代から名だたる交通の難所であり、親も子もお互いを気にかけては通ることができないことから、その地名がつけられたとも言います。
一体どれほどの難所なのか、、、
コロナ自粛のミニマムツーリズムということで6月下旬の曇り空の午後、親不知へ行って来ました。
北陸自動車道を親不知ICで降りて、国道8号線へ。
途中、本当に道幅が狭く制限速度30kmになっている箇所があり、未だに難所であることを実感しました。
国道8号わきの駐車場に車を停めて、出発。
旧国道は親不知コミュニティロードと呼ばれ、旧北陸線のレンガトンネルと共に公園として整備されているようです。
旧国道は明治天皇の北陸巡行を機に、明治15年5月着工、明治16年12月に竣工した道路。昭和40年にルート変更されたとのこと。
wikiペディア 天険親不知
ずんずん歩いて行ってしまったため、断崖を削った道の写真を撮らなかったのは悔やまれます(-_-;
途中の展望台からは、親不知の4世代の道路を見ることができます。
1世代:海岸線の砂浜
2世代:現在居る道、旧国道
3世代:断崖に張り付いている現国道8号
4世代:海上高架橋の北陸自動車道
シーサイドラインよりも長く、断崖も一層険しい場所であることがわかります。
さらに交通の要所でもあったので、ここを通らなければならない人は沢山いたのでしょう。
展望台の先にはウェストンさんの銅像、道路下の断崖。
ウェストンさん、上高地にレリーフがあるのは知っていましたが、ここにも訪れていたのですね。
残されている旧国道時代の石の親柱、奥へと続く旧国道。
旧北陸線のレンガトンネルへ降りていく道があります。
立派な石垣があるので、保線用に線路まで行く道だったのかもしれませんね。
さびた鉄の遺構。何に使うものだったのでしょう?廃墟感を醸しています。
そしてすぐ下は断崖の海。
大正元年に竣工、昭和40年に廃線となった旧北陸線のレンガトンネル。
とても趣があります。
人の手で一つ一つレンガを組み上げて作られたトンネル。
様々な仕事が人手で行われていた時代だったのだろうなあ。
暗くてうまく写真撮れませんでしたが、蒸気機関車の黒煙の跡が残るトンネル内。
トンネル内の待避所に置かれていた説明書き。
なんと、手堀りで穿っていったのですね!驚きです。
何人もの人が関わって作られたのだろうなあ。
トンネルの出口。
ここから海岸へ降りる階段があります。
曇っていたので海が白いですが、晴れていたら青い海が望めたことでしょう。
海岸の右手も左手も砂浜は全くなく、とても歩いて行けそうにありません。
江戸時代の参勤交代では、波除人足を雇って通行したらしいですから、おそらく今よりはずっと砂浜が広かったのでしょう。
日本海側の海岸浸食は数十年でもかなり進んでいるので、150年以上前の海岸線が違っていてもおかしくないと思います。
そして私は気が付きました。今は使われていない階段が残されていることに。
ちょっとシーサイドラインの廃徒歩道みたいです。
この階段はいつのものかわかりませんが、観光用に作られたものが波の浸食により使えなくなったような気がします。
真相はざっとネット検索した位ではわかりませんでした。
海岸を離れ、車で8号を戻ります。
途中の親不知記念広場からの子不知方面の眺め。
今はこの海岸を歩くことはできないでしょう。
砂浜がなく、波が断崖を洗っています。
今よりもっと砂浜があったとしても、波打ち際を歩くのは、本当に命がけだったのではないかと思う海岸です。
海に差す光。曇りの日は青い海は撮れないですが、雲間からの光がいい感じです。
今は安全に通行できる天険親不知。
不便でも旧道を通ることで見えてくる景色もあることを感じました。
そして、明治時代のレンガ建築にも興味が出てきたのでした。
実家に残されていた古道具に明治25年とか19年とか書かれています。
それと同じ時間を過ごしてきた建物や道。
同じ空気をまとっているように感じます。
時々通るシーサイドライン。昭和初期にやっと徒歩道を作ることができたほど難所だった場所。
通るたびに「この道、崖を削るのが困難で新しく高架を作るようにしてできた道なんだなあ」と思っていました。
険しく道路を作るための土地が無く、高架で新たに道を作ったと言えば北陸自動車道の親不知が有名。
江戸時代から名だたる交通の難所であり、親も子もお互いを気にかけては通ることができないことから、その地名がつけられたとも言います。
一体どれほどの難所なのか、、、
コロナ自粛のミニマムツーリズムということで6月下旬の曇り空の午後、親不知へ行って来ました。
北陸自動車道を親不知ICで降りて、国道8号線へ。
途中、本当に道幅が狭く制限速度30kmになっている箇所があり、未だに難所であることを実感しました。
国道8号わきの駐車場に車を停めて、出発。
旧国道は親不知コミュニティロードと呼ばれ、旧北陸線のレンガトンネルと共に公園として整備されているようです。
旧国道は明治天皇の北陸巡行を機に、明治15年5月着工、明治16年12月に竣工した道路。昭和40年にルート変更されたとのこと。
wikiペディア 天険親不知
ずんずん歩いて行ってしまったため、断崖を削った道の写真を撮らなかったのは悔やまれます(-_-;
途中の展望台からは、親不知の4世代の道路を見ることができます。
1世代:海岸線の砂浜
2世代:現在居る道、旧国道
3世代:断崖に張り付いている現国道8号
4世代:海上高架橋の北陸自動車道
シーサイドラインよりも長く、断崖も一層険しい場所であることがわかります。
さらに交通の要所でもあったので、ここを通らなければならない人は沢山いたのでしょう。
展望台の先にはウェストンさんの銅像、道路下の断崖。
ウェストンさん、上高地にレリーフがあるのは知っていましたが、ここにも訪れていたのですね。
残されている旧国道時代の石の親柱、奥へと続く旧国道。
旧北陸線のレンガトンネルへ降りていく道があります。
立派な石垣があるので、保線用に線路まで行く道だったのかもしれませんね。
さびた鉄の遺構。何に使うものだったのでしょう?廃墟感を醸しています。
そしてすぐ下は断崖の海。
大正元年に竣工、昭和40年に廃線となった旧北陸線のレンガトンネル。
とても趣があります。
人の手で一つ一つレンガを組み上げて作られたトンネル。
様々な仕事が人手で行われていた時代だったのだろうなあ。
暗くてうまく写真撮れませんでしたが、蒸気機関車の黒煙の跡が残るトンネル内。
トンネル内の待避所に置かれていた説明書き。
なんと、手堀りで穿っていったのですね!驚きです。
何人もの人が関わって作られたのだろうなあ。
トンネルの出口。
ここから海岸へ降りる階段があります。
曇っていたので海が白いですが、晴れていたら青い海が望めたことでしょう。
海岸の右手も左手も砂浜は全くなく、とても歩いて行けそうにありません。
江戸時代の参勤交代では、波除人足を雇って通行したらしいですから、おそらく今よりはずっと砂浜が広かったのでしょう。
日本海側の海岸浸食は数十年でもかなり進んでいるので、150年以上前の海岸線が違っていてもおかしくないと思います。
そして私は気が付きました。今は使われていない階段が残されていることに。
ちょっとシーサイドラインの廃徒歩道みたいです。
この階段はいつのものかわかりませんが、観光用に作られたものが波の浸食により使えなくなったような気がします。
真相はざっとネット検索した位ではわかりませんでした。
海岸を離れ、車で8号を戻ります。
途中の親不知記念広場からの子不知方面の眺め。
今はこの海岸を歩くことはできないでしょう。
砂浜がなく、波が断崖を洗っています。
今よりもっと砂浜があったとしても、波打ち際を歩くのは、本当に命がけだったのではないかと思う海岸です。
海に差す光。曇りの日は青い海は撮れないですが、雲間からの光がいい感じです。
今は安全に通行できる天険親不知。
不便でも旧道を通ることで見えてくる景色もあることを感じました。
そして、明治時代のレンガ建築にも興味が出てきたのでした。
実家に残されていた古道具に明治25年とか19年とか書かれています。
それと同じ時間を過ごしてきた建物や道。
同じ空気をまとっているように感じます。
2020-07-24 10:20
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