『新・忘れられた日本人』『忘れられた日本の村』筒井功 著 読みました [今日のつぶやき(books)]
図書館の民俗学の棚で見つけた本のレビュー、続きます。3冊の写真の右の本。
『新・忘れられた日本人』
を読み、今まで知らなったサンカと呼ばれた人々や漂白民の暮らしを知れたので、他の著作も借りて読んでみました。
『忘れられた日本の村』
『漂泊民の居場所』
『アイヌ語地名の南限を探る』
1.『新・忘れられた日本人』
著者は元新聞記者ということで、自ら調査地へ出かけ、その土地の古老と呼ばれる人にインダビューを行い、その考察結果をまとめている。
地道なフィールドワークから導き出された考察は真実味があり、事実に基づいた推論にも説得力があります。
まず、サンカと呼ばれる人々について。
エタ、ヒニンという被差別があったことは教科書の記述で知っていました。
それとは異なり、箕を作って売り修理しながら定住せず、あちこちに住みながら暮らしていた賎視の対象となった人々がいたこと。
著者が聞き取り調査できた平成始め頃まで、その暮らしをしていた人が存命であったことを考えると、昭和30~40年代、父や母もそうした人たちを知っていたのかもしれないと思いました。
農家では必ず必要な箕。
実家でももちろん使っていました。記憶にあるのは米ではなく、小豆やいんげんなど豆の鞘と実の選別に祖母が振っていた姿。
あまり家の手伝いをしなかった自分が覚えていないだけで、母も使っていたかもしれません。
箕は高価で取引された、と本にありましたが、確かに実家でも購入年を書いたものが残っています。
実家にある箕もどこかの箕作人が作ったものであったろうと思うと、こうした漂白民の暮らしが身近に感じられます。
尤も、昭和40年代頃には箕も作った人が売り歩くのではなく、卸に売っていたようなので、実家にあるものは卸売り人から買ったのかもしれません。
箕を作る人に限らず、お椀など塗り物の木地を作る職人も賎視対象であったこと。
木地にふさわしい大木を求めて、山の中を移動する職能集団。
恐らく、定住せず各地を渡り歩かざるを得ない職業には、犯罪者などの良からぬ者も紛れ込みやすいので、蔑まれていたのではないでしょうか。
かつての差別につながる内容はなかなか表に出てこないし、知っている人もそれを話したくないでしょうから、今まであまり知られてなかったのだと思いました。
2.『忘れられた日本の村』
この本に出てくる綾子舞の里、柏崎市鵜川。
ダムめぐりで行ってみた場所なので、目次を見てこれは!と思いすぐ借りました。
鵜川ダムは2023年現在建設中で、入口まで行ってみたけど立ち入り禁止だった場所でした。
近くを通っただけでしたが、そこそこ山深い場所でした。
綾子舞はかつては綾子踊りと呼ばれ、出雲の阿国の踊りとの類似性が舞踊に関する専門家からも指摘されてるとのこと。
出雲の阿国とは、これも教科書に出ていた記述で知っていること。
著者は、「ややこ(赤ん坊、若いことの強調)踊り」の転訛で「綾子(あやこ)踊り」になったのでは、と推測しています。
かつては男性が娘役も踊っていたらしいです。
この鵜川地区には、踊りなど芸能を専門とする職能集団がいて、東京まで興行に行っていたらしいこともビックリでしたが、箕を作っていたというのも驚きでした。
今は「綾子舞会館」というものができていて、伝統的な舞の継承も行われ、秋には実際に踊りも見られるようです。見に行ってみたくなりました。
3.『漂泊民の居場所』
これは上2冊の内容と被る部分も多かったのですが、関西地域の漂泊民には川魚漁で生計を立てていた人々もいたということが書かれていました。
また、漂泊民は一つのだけでなく複数の生業を持って生活していたとか、農民などの定住民とは交流が無かったとか、昭和初期までは戸籍がないまま暮らしていた人も多かったのではとか、そういった人々の暮らしの様子が伺えました。
著者が小学生の頃、先生に頼まれて河原に住む級友に届けものを持って行ったエピソードを読んで、昔見た特撮ウルトラマンのある放送回のイメージが浮かびました。
「ウルトラマン」の再放送なのか、「帰ってきたウルトラマン」だったのか、もう詳しくは覚えていないのですが、河原で雨の中壊れた傘をさして地面を掘っている男の子の姿が印象的で、かなり暗く報われない話だった気がしています。
ざっと調べてみましたが、どういう話だったか探せませんでした。
漂泊民の置かれた暮らしというのは、ツライものもあっただろうなと、その放送回のイメージを重ねて思ってしまいました。
4.『アイヌ語地名の南限を探る』
アイヌ語地名は北海道に多いのは知っていましたが、実は秋田県北部や岩手県にもあることは知りませんでした。
静内、稚内などの「ナイ」は、アイヌ語で「川」のことで、~内の地名が東北北部に多いことからタイトル通りアイヌ語地名の南限を調べています。
地名からアイヌ語との関連を予想し、実際に同じ名前の付いた土地へ行って、その地名の由来を推測しているところは、著者の得意とするフィールドワークに基づいており、信ぴょう性があります。
アイヌ語だけではなく日本の古語からついた地名の説明もあり、それが面白かった。
野口五郎岳、黒部五郎岳の由来はそれにあたります。
古語で大きな岩をゴウロまたはゴウラと呼んでいたので、大きな岩がある沢をゴウロサワ→ゴロウサワとなり、漢字を当てたので「五郎沢」となった。
昔は山にいちいち名前を付けていなかったので、山の名前を沢の名前で呼んでいたので五郎岳となった。
野口と言う地名にある五郎岳なので「野口五郎岳」となったということらしい。
黒部五郎岳は野口五郎岳と区別するため、黒部と後付けでつけたという。
箱根の強羅はそのままゴウラに漢字を当てたものだとも。
実家にも五郎沢があります。
沢を田んぼに開拓した人が五郎だから五郎沢なのかなと思っていましたが、ゴウラから転訛したものなのかもしれません。
なるほどと思いました。
アイヌ語に関しては、漫画「ゴールデンカムイ」の人気によって注目されているようですね。
アイヌが長く差別対象になっていたことで、地名の由来が分からなくなっていることもあるのではと思いましたが、これからはフラットな見方ができるようになるかもしれない。
漫画って、本当に侮れないです。
『新・忘れられた日本人』
を読み、今まで知らなったサンカと呼ばれた人々や漂白民の暮らしを知れたので、他の著作も借りて読んでみました。
『忘れられた日本の村』
『漂泊民の居場所』
『アイヌ語地名の南限を探る』
1.『新・忘れられた日本人』
著者は元新聞記者ということで、自ら調査地へ出かけ、その土地の古老と呼ばれる人にインダビューを行い、その考察結果をまとめている。
地道なフィールドワークから導き出された考察は真実味があり、事実に基づいた推論にも説得力があります。
まず、サンカと呼ばれる人々について。
エタ、ヒニンという被差別があったことは教科書の記述で知っていました。
それとは異なり、箕を作って売り修理しながら定住せず、あちこちに住みながら暮らしていた賎視の対象となった人々がいたこと。
著者が聞き取り調査できた平成始め頃まで、その暮らしをしていた人が存命であったことを考えると、昭和30~40年代、父や母もそうした人たちを知っていたのかもしれないと思いました。
農家では必ず必要な箕。
実家でももちろん使っていました。記憶にあるのは米ではなく、小豆やいんげんなど豆の鞘と実の選別に祖母が振っていた姿。
あまり家の手伝いをしなかった自分が覚えていないだけで、母も使っていたかもしれません。
箕は高価で取引された、と本にありましたが、確かに実家でも購入年を書いたものが残っています。
実家にある箕もどこかの箕作人が作ったものであったろうと思うと、こうした漂白民の暮らしが身近に感じられます。
尤も、昭和40年代頃には箕も作った人が売り歩くのではなく、卸に売っていたようなので、実家にあるものは卸売り人から買ったのかもしれません。
箕を作る人に限らず、お椀など塗り物の木地を作る職人も賎視対象であったこと。
木地にふさわしい大木を求めて、山の中を移動する職能集団。
恐らく、定住せず各地を渡り歩かざるを得ない職業には、犯罪者などの良からぬ者も紛れ込みやすいので、蔑まれていたのではないでしょうか。
かつての差別につながる内容はなかなか表に出てこないし、知っている人もそれを話したくないでしょうから、今まであまり知られてなかったのだと思いました。
2.『忘れられた日本の村』
この本に出てくる綾子舞の里、柏崎市鵜川。
ダムめぐりで行ってみた場所なので、目次を見てこれは!と思いすぐ借りました。
鵜川ダムは2023年現在建設中で、入口まで行ってみたけど立ち入り禁止だった場所でした。
近くを通っただけでしたが、そこそこ山深い場所でした。
綾子舞はかつては綾子踊りと呼ばれ、出雲の阿国の踊りとの類似性が舞踊に関する専門家からも指摘されてるとのこと。
出雲の阿国とは、これも教科書に出ていた記述で知っていること。
著者は、「ややこ(赤ん坊、若いことの強調)踊り」の転訛で「綾子(あやこ)踊り」になったのでは、と推測しています。
かつては男性が娘役も踊っていたらしいです。
この鵜川地区には、踊りなど芸能を専門とする職能集団がいて、東京まで興行に行っていたらしいこともビックリでしたが、箕を作っていたというのも驚きでした。
今は「綾子舞会館」というものができていて、伝統的な舞の継承も行われ、秋には実際に踊りも見られるようです。見に行ってみたくなりました。
3.『漂泊民の居場所』
これは上2冊の内容と被る部分も多かったのですが、関西地域の漂泊民には川魚漁で生計を立てていた人々もいたということが書かれていました。
また、漂泊民は一つのだけでなく複数の生業を持って生活していたとか、農民などの定住民とは交流が無かったとか、昭和初期までは戸籍がないまま暮らしていた人も多かったのではとか、そういった人々の暮らしの様子が伺えました。
著者が小学生の頃、先生に頼まれて河原に住む級友に届けものを持って行ったエピソードを読んで、昔見た特撮ウルトラマンのある放送回のイメージが浮かびました。
「ウルトラマン」の再放送なのか、「帰ってきたウルトラマン」だったのか、もう詳しくは覚えていないのですが、河原で雨の中壊れた傘をさして地面を掘っている男の子の姿が印象的で、かなり暗く報われない話だった気がしています。
ざっと調べてみましたが、どういう話だったか探せませんでした。
漂泊民の置かれた暮らしというのは、ツライものもあっただろうなと、その放送回のイメージを重ねて思ってしまいました。
4.『アイヌ語地名の南限を探る』
アイヌ語地名は北海道に多いのは知っていましたが、実は秋田県北部や岩手県にもあることは知りませんでした。
静内、稚内などの「ナイ」は、アイヌ語で「川」のことで、~内の地名が東北北部に多いことからタイトル通りアイヌ語地名の南限を調べています。
地名からアイヌ語との関連を予想し、実際に同じ名前の付いた土地へ行って、その地名の由来を推測しているところは、著者の得意とするフィールドワークに基づいており、信ぴょう性があります。
アイヌ語だけではなく日本の古語からついた地名の説明もあり、それが面白かった。
野口五郎岳、黒部五郎岳の由来はそれにあたります。
古語で大きな岩をゴウロまたはゴウラと呼んでいたので、大きな岩がある沢をゴウロサワ→ゴロウサワとなり、漢字を当てたので「五郎沢」となった。
昔は山にいちいち名前を付けていなかったので、山の名前を沢の名前で呼んでいたので五郎岳となった。
野口と言う地名にある五郎岳なので「野口五郎岳」となったということらしい。
黒部五郎岳は野口五郎岳と区別するため、黒部と後付けでつけたという。
箱根の強羅はそのままゴウラに漢字を当てたものだとも。
実家にも五郎沢があります。
沢を田んぼに開拓した人が五郎だから五郎沢なのかなと思っていましたが、ゴウラから転訛したものなのかもしれません。
なるほどと思いました。
アイヌ語に関しては、漫画「ゴールデンカムイ」の人気によって注目されているようですね。
アイヌが長く差別対象になっていたことで、地名の由来が分からなくなっていることもあるのではと思いましたが、これからはフラットな見方ができるようになるかもしれない。
漫画って、本当に侮れないです。
『遠野物語』柳田国男著 とその関連本読みました [今日のつぶやき(books)]
図書館の民俗学の棚で見つけた本3冊、3月頃読んだので今更ではありますが、記しておこうと思います。
盛岡旅で読んでみようと思った「遠野物語」
文語で書かれているとあったので、内容が分かりやすい口語訳本を読んでみました。
そして並んで置いてあった解説本も。
遠野物語は座敷童子が出てくるというのは知っていたので、勝手に昔話なのかと思っていましたが、当時の人々から直接聞いた話がほとんどでした。数話昔話もあります。
「いついつ、〇〇のどこそこのだれだれから聞いた話です。」というような具体的な記述で始まっています。
狐憑きみたいな話とか座敷童子を見た話とか不思議な話もありますが、お嫁さんにつらく当たるお母さんを成敗ししなければと切りつけた男の話もあります。
この話はとても異色だなと思ったのですが、解説本によると儒教思想を否定している例なんだとか。
民俗学者としての柳田国男が有名ですが、実際には国家官僚として農村の生活を調査、研究し、そうした本の出版のはざまに「遠野物語」を発表しています。
農民が自助と協同の精神を持つことが大切であると考え、儒教思想は農村には不要との思いからこの話を載せたと解説されていました。
解説本と併読したことで、著者の意図が少しわかった気がします。
現代では不思議な話として片づけられてしまうかもしれないですが、キツネに化かされた00のかもしれないと思わせる余地が、自然に密着した田舎の暮らしにはある気がします。
岩手県を訪ねることがあれば、また「遠野物語」を読もうと思っています。
盛岡旅で読んでみようと思った「遠野物語」
文語で書かれているとあったので、内容が分かりやすい口語訳本を読んでみました。
そして並んで置いてあった解説本も。
『遠野物語』を読もう: 柳田国男が意図したもの (ブックレット新潟大学 54)
- 作者: 藤井 隆至
- 出版社/メーカー: 新潟日報メディアネット
- 発売日: 2010/08/01
- メディア: 単行本
遠野物語は座敷童子が出てくるというのは知っていたので、勝手に昔話なのかと思っていましたが、当時の人々から直接聞いた話がほとんどでした。数話昔話もあります。
「いついつ、〇〇のどこそこのだれだれから聞いた話です。」というような具体的な記述で始まっています。
狐憑きみたいな話とか座敷童子を見た話とか不思議な話もありますが、お嫁さんにつらく当たるお母さんを成敗ししなければと切りつけた男の話もあります。
この話はとても異色だなと思ったのですが、解説本によると儒教思想を否定している例なんだとか。
民俗学者としての柳田国男が有名ですが、実際には国家官僚として農村の生活を調査、研究し、そうした本の出版のはざまに「遠野物語」を発表しています。
農民が自助と協同の精神を持つことが大切であると考え、儒教思想は農村には不要との思いからこの話を載せたと解説されていました。
解説本と併読したことで、著者の意図が少しわかった気がします。
現代では不思議な話として片づけられてしまうかもしれないですが、キツネに化かされた00のかもしれないと思わせる余地が、自然に密着した田舎の暮らしにはある気がします。
岩手県を訪ねることがあれば、また「遠野物語」を読もうと思っています。
今年の山菜 [農家実家の片付け]
春先に実家に行くと、近所の方から山菜をよく頂きます。
去年は山タケノコとタラの芽を、
今年はコゴミとウドを頂きましたが、コゴミは写真撮る前に茹ででしまいました。
ウドは天ぷら用に若い芽を残し、他は皮をむいてあく抜き。
古家跡で採ったタラノメ。
竹林の山椒の葉。
コゴミは胡麻和えに。
ウドは油揚げと煮物に。
収穫したタケノコは若竹煮に。
ウドの細い茎はきんぴらに、タラノメとウドの芽は天ぷらにしたのですが、写真を撮り忘れました。
最近、そんなのばっかり(^^;
毎年似たような山菜料理だけど、自分で採ったり頂いたりしたものを、鮮度がいいうちに食べるのが好きです。
今度は忘れずに写真に撮らないと。
去年は山タケノコとタラの芽を、
今年はコゴミとウドを頂きましたが、コゴミは写真撮る前に茹ででしまいました。
ウドは天ぷら用に若い芽を残し、他は皮をむいてあく抜き。
古家跡で採ったタラノメ。
竹林の山椒の葉。
コゴミは胡麻和えに。
ウドは油揚げと煮物に。
収穫したタケノコは若竹煮に。
ウドの細い茎はきんぴらに、タラノメとウドの芽は天ぷらにしたのですが、写真を撮り忘れました。
最近、そんなのばっかり(^^;
毎年似たような山菜料理だけど、自分で採ったり頂いたりしたものを、鮮度がいいうちに食べるのが好きです。
今度は忘れずに写真に撮らないと。
2024春の野山 [農家実家の片付け]
春の野山は、芽吹きが沢山。
やっかいなツル草や雑草も、小さな芽のうちはかわいいです。
長く雪に閉ざされた季節の後は、暖かい日差しと緑の芽吹きが嬉しい。
竹林脇に生えてるグミの木。こんなに沢山花が咲くなら実もなってくれるといいのに。
いつもの野の花。
モミジイチゴと言うらしいけど、花が下向くように実も下になるので「さがり苺」と呼んでました。イカリソウも。
ショウジョウバカマとカタクリは終わっていたみたい。
アケビの花と湿地に生えるミドリハコベ、小さな白い花。
タチツボスミレ(かな?)とキスミレ。
エンレイソウとアケボノスミレ。
この冬は雪が少なかったせいか、野草の花が早かったように思います。
まあ、作業の合間にちょこちょこっと見て回ってるだけなので、見落としているのかもしれません。
その作業合間の山菜採り。竹林の山椒、古家跡地のタラの芽。
古家跡地の藪にはカタクリが群生していました。
来年はちゃんと時期を見て写真に撮りたいな。
当たり前の景色が、ずっと必ず当たり前であるわけではないので。
やっかいなツル草や雑草も、小さな芽のうちはかわいいです。
長く雪に閉ざされた季節の後は、暖かい日差しと緑の芽吹きが嬉しい。
竹林脇に生えてるグミの木。こんなに沢山花が咲くなら実もなってくれるといいのに。
いつもの野の花。
モミジイチゴと言うらしいけど、花が下向くように実も下になるので「さがり苺」と呼んでました。イカリソウも。
ショウジョウバカマとカタクリは終わっていたみたい。
アケビの花と湿地に生えるミドリハコベ、小さな白い花。
タチツボスミレ(かな?)とキスミレ。
エンレイソウとアケボノスミレ。
この冬は雪が少なかったせいか、野草の花が早かったように思います。
まあ、作業の合間にちょこちょこっと見て回ってるだけなので、見落としているのかもしれません。
その作業合間の山菜採り。竹林の山椒、古家跡地のタラの芽。
古家跡地の藪にはカタクリが群生していました。
来年はちゃんと時期を見て写真に撮りたいな。
当たり前の景色が、ずっと必ず当たり前であるわけではないので。