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碓氷峠路 アプトの道散策(2) [カメラ散歩~探検編]

めがね橋を渡るとすぐ第6トンネル。この散策コースで最も長く、546mあります。
外は汗が流れるほど蒸し暑いのですが、トンネル内が涼しいので助かります。
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煙抜きのアーチ窓と天上の抜き穴。
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7号トンネルの扁額跡。ここのトンネルまでらしきものは無かったような気がします。
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このトンネルの避難スペースは内壁が岩?
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第6橋梁の先の8号トンネル入口。
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ちょっとわかりにくい写真ですが、この第6橋梁もなかなかの高さがあります。
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第9トンネル。奥に10号トンネルの入り口が見えます。
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第10トンネルが見えた!折り返しまであと少し。
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熊ノ平到着!片道6kmあまりですが、結構疲れました。
人が歩いても明らかな登りとわかる路だったわけですから、明治時代のSLが走るのは本当に大変な路線だったのだろうな。
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沢山の人が亡くなった山崩れの殉難碑もあり、手を合わせてきました。
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碓氷線と呼ばれた軽井沢-横川間は明治26年に開通したとのこと。

 碓氷線の歴史

明治時代の殖産興業の一端を担っていた鉄道碓氷線。絹製品の輸出で外貨を得ていた日本があって、今があるんですね。

熊ノ平は碓氷線唯一の平らな土地だから?複線化した新旧それぞれで4つのトンネルが並んでいます。なかなか壮観。
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帰り道。
隣のトンネルも気になりますが、入れません。
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ずんずん歩いて行って、第7トンネル出口。ここもなかなか絵になります。
行きは通り過ぎましたがここにも橋があります。
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一見トンネルに見えますね(^^; これは第5橋梁。
レンガ作りのアーチ型内径をコンクリートで補強してあるそうです。
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帰り道の第6トンネルの煙抜き。光がいい感じです。
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第3橋梁の下まで降りてみました。堂々たるレンガ橋。
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ずんずん歩いて1号トンネル入口。右手には旧中山道への道があるようです。
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帰り道の旧丸山変電所。
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横川駅までの道は日影が少ないので汗だくでしたが無事に到着。
車で「とうげの湯」まで行き、温泉に入ってからお昼ご飯。お腹いっぱいでした。
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とうげの湯でも、おぎのやの釜めしの土産屋でも、入場時に検温がありました。
観光地なだけにコロナ対策もしっかりしているのですね。

歩きやすい道だし、絶景ポイントも沢山ある散策路なので、秋や雪景色のころにも来てみたいです。
廃線跡散策は成り立ちとその歴史も分かって、なかなか面白いです(^^)

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碓氷峠路 アプトの道散策(1) [カメラ散歩~探検編]

天険親不知を散策して、俄然興味がわいてきた廃線跡散策やレンガ建築。
以前雑誌で見て行きたかったアプトの道へ、GoToキャンペーンが取りざたされていた7月下旬に行って来ました。
探検と言うにはおこがましいですが、廃線探訪なので探検編カテゴリにしておきます(^^;


日差しが強すぎない午前中に散策を終えようと、早めに横川駅の駐車場に到着。
曇りでさほどの暑さではなかったのは幸いでした。
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碓氷峠鉄道文化むらを横目に散策路を歩きます。
途中、碓氷峠関所跡へ寄りました。江戸時代も険しい峠は関所となっていたのですね。
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線路跡を整備した散策路を歩きます。ほぼ直線でわりと単調な道でしたが、夏らしい風情も見られました。
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最初の見どころ、旧丸山変電所が見えてきました。
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工場建築とはいえレンガ建築最盛期の明治44年に作られた建物なので、入り口やアーチ部分などに装飾性がありとても趣があります。
総レンガ作りと言うのは、人手がかかるんだろうな、でもその分頑丈なのではないかなと思いながら見ていました。
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内部を見学できる時もあるようです。
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とうげの湯を過ぎてどんどん行くと、1号トンネル。
ここから旧熊ノ平駅までいくつものトンネルがあります。
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トンネル内は18:00までは灯りが付いています。出口側にある、幕引き用の金具跡。
幕引きと言うはSL列車の頃に、トンネル内に煙が充満しすぎないように通過後に幕を下ろす作業のことで、当時は専用の作業をする人が居たそうです。
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2号トンネル。ずっと曇りでしたが、ここで青空が覗いていました。
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トンネル内の避難スペース。ここもしっかりレンガ作りなんですね。
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トンネルを抜けると碓氷湖が見えます。
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3号トンネル。奥に4号トンネル、5号トンネルの入り口が見えて、なかなかの景色。
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4号トンネル。壁の石組も立派です。随分コケと植物に浸食されています。
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内壁は補修されていたようですが、内側のレンガが露出してる所もありました。
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4号トンネルから5号トンネル入口を望む。
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5号トンネル入り口。日差しも強くなってきました、蒸し暑い。。。
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5号トンネル出口から第3橋梁上を望む絶景アングル。木々の緑を美しく切り取ってます。
トンネル内壁のレンガ積みもよくわかりますね。
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そしてその先はアプトの道のメインとも言える、第3橋梁。かなりの高さです。
レンガ造りの国指定重要文化財、めがね橋として有名です。
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(つづく)
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親不知 レンガトンネルと旧国道散策 [カメラ散歩~探検編]

探検と言うほどのものではないですが、旧道、廃線跡散策なので探検カテゴリにしておきます(^^)


時々通るシーサイドライン。昭和初期にやっと徒歩道を作ることができたほど難所だった場所。
通るたびに「この道、崖を削るのが困難で新しく高架を作るようにしてできた道なんだなあ」と思っていました。

険しく道路を作るための土地が無く、高架で新たに道を作ったと言えば北陸自動車道の親不知が有名。
江戸時代から名だたる交通の難所であり、親も子もお互いを気にかけては通ることができないことから、その地名がつけられたとも言います。
一体どれほどの難所なのか、、、
コロナ自粛のミニマムツーリズムということで6月下旬の曇り空の午後、親不知へ行って来ました。


北陸自動車道を親不知ICで降りて、国道8号線へ。
途中、本当に道幅が狭く制限速度30kmになっている箇所があり、未だに難所であることを実感しました。
国道8号わきの駐車場に車を停めて、出発。
旧国道は親不知コミュニティロードと呼ばれ、旧北陸線のレンガトンネルと共に公園として整備されているようです。
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旧国道は明治天皇の北陸巡行を機に、明治15年5月着工、明治16年12月に竣工した道路。昭和40年にルート変更されたとのこと。
 wikiペディア 天険親不知
ずんずん歩いて行ってしまったため、断崖を削った道の写真を撮らなかったのは悔やまれます(-_-;


途中の展望台からは、親不知の4世代の道路を見ることができます。
 1世代:海岸線の砂浜
 2世代:現在居る道、旧国道
 3世代:断崖に張り付いている現国道8号
 4世代:海上高架橋の北陸自動車道
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シーサイドラインよりも長く、断崖も一層険しい場所であることがわかります。
さらに交通の要所でもあったので、ここを通らなければならない人は沢山いたのでしょう。


展望台の先にはウェストンさんの銅像、道路下の断崖。
ウェストンさん、上高地にレリーフがあるのは知っていましたが、ここにも訪れていたのですね。
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残されている旧国道時代の石の親柱、奥へと続く旧国道。
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旧北陸線のレンガトンネルへ降りていく道があります。
立派な石垣があるので、保線用に線路まで行く道だったのかもしれませんね。
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さびた鉄の遺構。何に使うものだったのでしょう?廃墟感を醸しています。
そしてすぐ下は断崖の海。
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大正元年に竣工、昭和40年に廃線となった旧北陸線のレンガトンネル。
とても趣があります。
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人の手で一つ一つレンガを組み上げて作られたトンネル。
様々な仕事が人手で行われていた時代だったのだろうなあ。
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暗くてうまく写真撮れませんでしたが、蒸気機関車の黒煙の跡が残るトンネル内。
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トンネル内の待避所に置かれていた説明書き。
なんと、手堀りで穿っていったのですね!驚きです。
何人もの人が関わって作られたのだろうなあ。
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トンネルの出口。
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ここから海岸へ降りる階段があります。
曇っていたので海が白いですが、晴れていたら青い海が望めたことでしょう。
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海岸の右手も左手も砂浜は全くなく、とても歩いて行けそうにありません。
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江戸時代の参勤交代では、波除人足を雇って通行したらしいですから、おそらく今よりはずっと砂浜が広かったのでしょう。
日本海側の海岸浸食は数十年でもかなり進んでいるので、150年以上前の海岸線が違っていてもおかしくないと思います。

そして私は気が付きました。今は使われていない階段が残されていることに。
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ちょっとシーサイドラインの廃徒歩道みたいです。
この階段はいつのものかわかりませんが、観光用に作られたものが波の浸食により使えなくなったような気がします。
真相はざっとネット検索した位ではわかりませんでした。


海岸を離れ、車で8号を戻ります。
途中の親不知記念広場からの子不知方面の眺め。
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今はこの海岸を歩くことはできないでしょう。
砂浜がなく、波が断崖を洗っています。
今よりもっと砂浜があったとしても、波打ち際を歩くのは、本当に命がけだったのではないかと思う海岸です。


海に差す光。曇りの日は青い海は撮れないですが、雲間からの光がいい感じです。
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今は安全に通行できる天険親不知。
不便でも旧道を通ることで見えてくる景色もあることを感じました。
そして、明治時代のレンガ建築にも興味が出てきたのでした。


実家に残されていた古道具に明治25年とか19年とか書かれています。
それと同じ時間を過ごしてきた建物や道。
同じ空気をまとっているように感じます。

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持倉鉱山跡探検 [カメラ散歩~探検編]

以前にwebサイトで見つけて、ずっと行ってみたかったこの場所に行ってきました。
持倉鉱山跡。
何もない山道をどんどん進むと忽然と現れる鉱山事務所の遺構。
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あくまでプチ探検ですが、googleマップのナビで簡単に辿り着くような場所ではないです。
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なかなかラピュタ感あります。
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川を挟んだ向かい側にはもっとワイルドな精錬所の遺構が。
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水量が多く、雪解け水で冷たいので川を渡れませんでした。

カラミ煉瓦と呼ばれる、銅の精錬過程で生ずるクズ鉱で作られた固いレンガのおかげで、閉山後60年近く経つ現在まで、レンガ組みが残っているそうです。
以前私が見たwebサイトは無くなってしまっていましたが、そのサイトの写真ではアーチ組だけが残っている写真がありました。
今はそれはなく、崩れてしまったと思われます。昨冬の豪雪のせいかもしれません。
TV番組で紹介されたこともあって、地元の有志の方たちが下草狩りをしているそうなので、たどり着くまでの道も以前に比べれば歩きやすくなっているようです。


先ずは車で林道を行ける所まで行きます。
実はその道も迷って小一時間ほどやぶ道と格闘しました(^^;;
するとこの案内があります。
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下草や虫が少ない春先が行きやすいだろうと考えていましたが、クマ目撃情報もありますので、ちょっと警戒して歩きました。
途中、アスファルトが残っているような場所もありますが、
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多くはこのような川沿いの小道です。でも落石が起きてる場所もありました。
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難所その1。
川にそそぐ水流で道が流されてしまっているところ。でもハシゴが掛けられています。
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難所その2。
道がなく、岩場を越えていくところ。
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難所その3、は写真がないですが、急斜面で川のすぐ脇に下りて歩いて行くところ、があります。
崖が急なため、ロープが張ってあり、それにつかまると進みやすいです。

車を下りた箇所から20分ほど歩くと見えてきます。
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天気が良かったので、春の花も沢山咲いていました。
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入口の注意書きにある通り、山ヒル、ハチ、クマなど、山奥につきものの危険はありますので、行かれる方は自己責任で。
雨の後などは川の増水や落石にも注意が要りそうです。
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40年前に廃村になった場所(角海浜) [カメラ散歩~探検編]

これも探検と言うにはおこがましいですが、このカテゴリに入れておきます。

越後七浦シーサンドライン(国道402号)は基本的に海沿いの道路ですが、内陸に周り込んだ箇所があります。
巻原発予定地で昭和49年に廃村になった村、かつては鳴き砂の浜だったのに鳴かなくなった砂浜、
角海浜。原発予定地だったので、道路が迂回しているのです。
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いろいろエピソードがあり、ネットで検索するといくつかの情報に行き当たります。
↓こちらのサイトを参考にさせて頂きました。

http://d-road.sytes.net/r.php/road/kakumihama/1

http://hoch.jugem.jp/?eid=511

http://bigai.world.coocan.jp/msand/sand/visit/kakufukatu.html

五ケ浜の駐車場に車を置いて、国道402号を歩いてみます。歩道から角海浜を望む様子。
防波堤のように突き出ているのは、原発建設が中止になった後に作られた排水トンネルのものらしいです。
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同じく国道から見下ろす角海浜への道。ALSOKさんの建物が見えます。
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国道を降りて、角海浜への入り口へ向かうと進入禁止ゲートが。
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ここでちょうどALSOKさんが、ゲートを空けて入るところに遭遇したので写真を撮りに入っていいか尋ねました。
「道は市道なので歩いても大丈夫ですが、崩落しています。また、女性1人は危ないですよ、誰がいるかわかりませんし。」と心配して下さいました。
とがめられることもなかったので、テクテク歩いて行きます。
先ほど見下ろした国道の下を通り、
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振り返った景色。
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藪に囲まれた道をテクテク歩く。芽吹きが春の日差しにきれいでした。
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こんな立ち入り禁止看板があちこちにありました。
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道路の先に柵が。
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聞きしに勝る海蝕の道路。
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来年は歩いても通れるかどうか...
砂浜から見上げるとこんなでした。
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歩いて行くと、海に降りる階段もありました。
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そして新たに海蝕にさらされている箇所も。
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新しめの電柱が続く先は、
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恐らくこの建物。でも誰も訪れてる気配はないです。
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途中の、かつての集落だったと思われる場所。やぶの中に昔っぽい電柱が続いています。
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原発予定地だったこともあり、建物はすべて撤去されたらしいですし、廃村後40年となれば跡形もないんでしょう。
さらに道を進むと新し目のトンネルが見えてきます。
排水トンネル管理用に立ち入り禁止になっているようです。
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立ち入り禁止なので、ここで浜に降りました。
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穏やかな日は波も静かです。
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かつては鳴き砂であったせい?砂模様がきれいでした。
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まあ、あえて写真を載せないですが漂着したゴミもすさまじかったです。
真新しい足跡も見かけたので、釣り人さんはまだまだ沢山訪れているようでした。
波の穏やかな日なら、入れなかったトンネルの先も岩場を歩いて行けるかもしれません。
気が向いたらまた探検してみたいなと思います。

過去の歴史を知ってこの場所を望むと、いろいろ考えてしまいます。
そして信濃川の治水の歴史なんかにも思いが及んで、もうちょっと調べてみようと思っています。
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