『天路の旅人』(沢木耕太郎著)読みました [今日のつぶやき(books)]
沢木耕太郎の話題作「天路の旅人」一気に読み終わりました。
570ページに及ぶ分厚い本ですが、沢木氏の著作は長くても面白いので長さは全く気にならず、今回も読み終わるのが惜しい本でした。
戦時中の満州から密偵としてモンゴル出身ラマ僧に扮して、中国の西域からチベット、インド、ネパールと旅した西川一三という人物。
ご自身の著になる「秘境西域八年の潜行」という上中下の3巻からなる長大な記録が中公文庫から出版されていたが、沢木氏はそれを読み込み、生前のご本人へのインタビューも行い、足かけ25年でこの本を書き上げました。
西川一三氏の人となりが、長きにわたってもこの人の旅路を書き上げる、という原動力になったのでしょう。
西川氏は旅路の中で最下層の暮らしをしながらも多くを持たず、誠至こそが自らを助ける、という信念のもと旅を続けていきます。
自分は本当は日本人であることがわからないように細心の注意を払い、病気にならないように。
寒さや悪天候、匪賊の脅威、飢えなどなど数々の過酷なエピソードが綴られています。
新しい土地へ行くために、その土地の言葉を習得し、どうやって旅を続けていくかも考え、時に友と一緒に、そして一人でも旅を続けていく。
多くを語らず、欲の無い行動によって、各地で助けてくれる人との出会いも素晴らしい。
日本の敗戦がわかって、もう自分の使命だったことは終わってしまったとわかっても、「見たことのない土地に行きたい」という旅へ強い動機から旅を続けています。
日本人であることが露呈して、帰国することになるのは分かっていましたが、ここまで慎重に行動していた西川氏がどういう状況で日本人と分ってしまうんだろうと思って読み進めていました。
旅の終わりは同じように密偵をしていた人物(木村肥佐生氏)が、他にも日本人が居ることを当局に告げたため。
その人は西川氏の家族のことを考えて告げたのだけれど、西川氏ご本人はもっと旅を続けたかったと、事前に確認してくれていればと悔やんだようです。
戦後数年経った日本では、このような任務についていた人をどう扱っていいかわからず、帰国が伸びてしまったこと、帰国して外務省にあいさつに行ってもすげなくあしらわれたこと。
なんというか、こんなに凄い旅をしてきた人物に対して信じられないくらいの冷遇にあきれてしまう。
日本へのビザを発行してユダヤ人の逃亡を助けた外交官、杉原千畝氏を全く評価しなかった日本の外務省ですからね。
戦後GHQの支配が強かったこの時に、期待してはいけないのかもしれません。
帰国してからの西川氏は旅のことを本に書き上げてもなかなか出版に至らず、でも淡々と日々の仕事をこなし、大きな欲を持たずに過ごしていたというのは本当に修行僧のようだったんだなと感じました。
「この稀有な旅人のことを、どうしても書きたい」と沢木耕太郎氏が帯に書いていますが、沢木氏がこうやって著作にしてくれたことで、私も含め多くの人が西川氏の偉大な旅とその生きざまを知ることができたことには感謝しかないです。
沢木耕太郎氏の著作は、結構読んでいます。
「深夜特急」を読んだのはずいぶん前ですが、一昨年くらいにたまたま図書館で見つけて読んだ「凍」がものすごく面白く、他の著作も読み進めていました。
そういえばこの西川氏の旅路にもヒマラヤ越えが出てきますね。
沢木氏は西川一三さんと同じように中国の内蒙古からインドへ旅してみたいと、あとがきに書いています。
沢木氏が元気なうちにぜひ旅してほしい、そしてその著作を読ませてほしいと思っています。
ぜひ実現させてほしいです。
それまでどうぞ沢木さんお元気で。
570ページに及ぶ分厚い本ですが、沢木氏の著作は長くても面白いので長さは全く気にならず、今回も読み終わるのが惜しい本でした。
戦時中の満州から密偵としてモンゴル出身ラマ僧に扮して、中国の西域からチベット、インド、ネパールと旅した西川一三という人物。
ご自身の著になる「秘境西域八年の潜行」という上中下の3巻からなる長大な記録が中公文庫から出版されていたが、沢木氏はそれを読み込み、生前のご本人へのインタビューも行い、足かけ25年でこの本を書き上げました。
西川一三氏の人となりが、長きにわたってもこの人の旅路を書き上げる、という原動力になったのでしょう。
西川氏は旅路の中で最下層の暮らしをしながらも多くを持たず、誠至こそが自らを助ける、という信念のもと旅を続けていきます。
自分は本当は日本人であることがわからないように細心の注意を払い、病気にならないように。
寒さや悪天候、匪賊の脅威、飢えなどなど数々の過酷なエピソードが綴られています。
新しい土地へ行くために、その土地の言葉を習得し、どうやって旅を続けていくかも考え、時に友と一緒に、そして一人でも旅を続けていく。
多くを語らず、欲の無い行動によって、各地で助けてくれる人との出会いも素晴らしい。
日本の敗戦がわかって、もう自分の使命だったことは終わってしまったとわかっても、「見たことのない土地に行きたい」という旅へ強い動機から旅を続けています。
日本人であることが露呈して、帰国することになるのは分かっていましたが、ここまで慎重に行動していた西川氏がどういう状況で日本人と分ってしまうんだろうと思って読み進めていました。
旅の終わりは同じように密偵をしていた人物(木村肥佐生氏)が、他にも日本人が居ることを当局に告げたため。
その人は西川氏の家族のことを考えて告げたのだけれど、西川氏ご本人はもっと旅を続けたかったと、事前に確認してくれていればと悔やんだようです。
戦後数年経った日本では、このような任務についていた人をどう扱っていいかわからず、帰国が伸びてしまったこと、帰国して外務省にあいさつに行ってもすげなくあしらわれたこと。
なんというか、こんなに凄い旅をしてきた人物に対して信じられないくらいの冷遇にあきれてしまう。
日本へのビザを発行してユダヤ人の逃亡を助けた外交官、杉原千畝氏を全く評価しなかった日本の外務省ですからね。
戦後GHQの支配が強かったこの時に、期待してはいけないのかもしれません。
帰国してからの西川氏は旅のことを本に書き上げてもなかなか出版に至らず、でも淡々と日々の仕事をこなし、大きな欲を持たずに過ごしていたというのは本当に修行僧のようだったんだなと感じました。
「この稀有な旅人のことを、どうしても書きたい」と沢木耕太郎氏が帯に書いていますが、沢木氏がこうやって著作にしてくれたことで、私も含め多くの人が西川氏の偉大な旅とその生きざまを知ることができたことには感謝しかないです。
沢木耕太郎氏の著作は、結構読んでいます。
「深夜特急」を読んだのはずいぶん前ですが、一昨年くらいにたまたま図書館で見つけて読んだ「凍」がものすごく面白く、他の著作も読み進めていました。
そういえばこの西川氏の旅路にもヒマラヤ越えが出てきますね。
沢木氏は西川一三さんと同じように中国の内蒙古からインドへ旅してみたいと、あとがきに書いています。
沢木氏が元気なうちにぜひ旅してほしい、そしてその著作を読ませてほしいと思っています。
ぜひ実現させてほしいです。
それまでどうぞ沢木さんお元気で。
2023-04-23 16:38
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